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  • 2020.04.29

多数決について考える。

......... 坂井豊貴『多数決を疑う』を読んで。 .........

弁護士   村 上 公 一  

 

1  多数決はなぜ正しいのか。
 集団において意思決定をする必要がある場合においてメンバー(以下において「決定参加者」あるいは「有権者」ということがある。)の意見が分かれたとき、意見をひとつに集約する仕組み(集約ルール)として多数決がよく使用される。しかし、多数決は、なぜ正しいのだろうか。わたしたちは、小学生の頃から、分かれた意見をまとめる大事な手続として多数決があると教室で教えられ、多数決が民主主義という制度を構成する不可欠の要素であるかのような感覚をもってきた[1]。スポーツでは、審判員の判定に不満があっても、これに潔く服することがフェアな態度とされる。これと同じように、いかに不満があっても多数決の結果に服することが民主主義を弁えた大人の態度であると観念してきた。
 しかし、「本来、満場一致が望ましい。多数決は必要悪であるから、なるべく避けるべきだ。最大限、話し合いや意見調整を試みるべきである。」という思想もあるはずだ。むしろ、そこから考えると問題がよく見えるのではないか[2]

2   特別多数決の制度について
 法律の中には、団体の統治のあり方を規律する法律が多数ある。「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律」(略称「一般社団法人法」)や会社法などである。その種の法律では、ほぼ例外なく、特定の重要な決定事項については、3分の2以上とか4分の3以上の賛成というように、可決要件を多数決(普通決議)よりも厳重にした特別多数決によって決定するよう定めている[3]。たとえば、マンション管理を規律する区分所有法(正式名称は「建物の区分所有等に関する法律」)では、管理規約の設定・変更は、区分所有者及び議決権の各4分の3以上の多数による決議を必要としており(区分所有法31条)、建替え決議では、区分所有者及び議決権の各5分の4以上の賛成を必要としている(区分所有法62条)。特別多数決では、可決のハードルが高いので、賛成者が相対的に多数であっても議案が否決されるという事態が当然ありうる。まさにその事態を容認するのが特別多数決の制度である。

3  大事な問題を多数決で決めて良いのか。
 考えてみると、特別多数決の制度は、「大事な問題を多数決によって決めてはならない。」という貴重なメッセージを放っているように見える。しかし、世間では、そのことが顧慮されることなく、重要な決定事項が多数決にかけられることが少なくない。
 たとえば、イギリスの欧州連合からの離脱(いわゆるBrexit)は、2016年6月23日の国民投票の結果、投票者の51.99%がEUを離脱することを選択したことによって決まったが、その後も政治の混乱は続いている。
 また、日本では、大阪都構想の是非を問うて2015年に大阪市で実施された住民投票では、多数決による採否を決めていた(投票結果は反対多数により否決)。このような統治の根幹にかかわる重要な決定事項を多数決によって決することは妥当なのであろうか。

4  社会的選択理論について
 いろいろと気になることもあるので、多数決について考察する研究がないかと探したところ、「社会的選択理論」という学問分野があることを知った。坂井豊貴(慶応義塾大学経済学部教授)が著した『多数決を疑う―社会的選択理論とは何か』(岩波新書)(以下「坂井A」と略称)は、社会的選択理論について分かりやすく説明してくれる好著である。坂井には、『「決め方」の経済学』(ダイヤモンド社)(以下「坂井B」と略称)という著書もあり、より平易に社会的選択理論を解説している。このほかに、社会的選択理論を取り扱った佐伯胖著『「決め方」の論理』(1980年4月刊行。以下「佐伯」と略称)という書物がある[4]。これは初学者にとって難解であるが、名著として高い評価を得ており、現在「ちくま学芸文庫」(筑摩書房)として出版されている。

5  「票の割れ」の問題について
(1)  社会的選択理論では、多数決によって2つの選択肢(alternatives)[5]から一つを選択することは、決定参加者の真意の反映という面での問題はないが、3つ以上の選択肢から一つを選択する場合に多数決を用いるのであれば、「票の割れ」の問題が発生し、決定参加者の真意の反映という面で問題があると考える[6]
(2)  たとえば、単記投票方式によって、3人の候補者(甲、乙、丙)の中から1人の当選者を決めるケースを想定しよう。ここにおいて甲と乙が思想的・政策的に近似しているならば、甲乙間において「票の割れ」が発生しやすい。有権者の支持分布が甲3割、乙3割、丙4割とすると、単記投票方式のもとにおいては丙が当選する。しかし、仮に乙が立候補を辞退し、選択肢が甲と丙の二者択一になったのであれば、どうであろうか。乙を支持する有権者の多くが甲への支持に回ることによって丙は負けることが想定される。同様の理由から、乙対丙の二者択一の形になった場合も、丙が負けることが想定される。このように、1対1のペアの対戦であれば甲にも乙にも負けるはずの丙が1位になる結論は、決して民意を反映しておらず不合理であると言うのである。実際上、そのような「票の割れ」が発生したとみられる事例は歴史上存在する[7]

6  ボルダルールについて
(1)  18世紀のフランスの学者ボルダ(Jean-Charles de Borda,1733-99)は、単記投票方式には「票の割れ」という欠陥があると指摘し、「ボルダルール」と呼ばれる集約ルールを提唱した。ボルダルールでは、3人の候補者の中から1人の当選者を選ぶケースならば、各有権者には自分の支持の優先度に従って3人の候補者に1位・2位・3位の順番を付けて投票してもらうことにし、開票集計の段階で、「1位に3点、2位に2点、3位に1点」という評点を与えて各候補者が得た総得点を比較して1位を決めるという方法である[8]。ボルダルールでは、候補者が4人であれば、「1位に4点、2位に3点、3位に2点、4位に1点」という評点を付けることになる。一般に、決定参加者の選好順位に従って配点に差を付ける集約方法をスコアリングルール(順位評点法)と呼ぶ。ボルダルールと異なる配点基準を採用するスコアリングルールも存在するが[9]、スコアリングルールの配点基準としては、等差によって配点するボルダルールが最も優れていると言われている[10]
(2)  ボルダルールは、実にいろんなことを強く示唆してくれる。まず第1に、選挙議案だけでなく、政策決定議案においても、三者択一や四者択一の形で多数決を行ってはならないということである。民意を知るためにアンケートを実施する場合も、三者択一や四者択一の形式の設問を設けてはならない。
(3)  第2に、ボルダルールの重要な特徴は、有権者に2位以下の選好を表明させる点である。人間の選好は、決してオール・オア・ナシングではなく、そこには「順序」や「強弱」がある[11]。第1希望の次に第2希望があり、その次に第3希望があるというように、立体的な階層性がある。その認識自体はボルダ特有のものではないが、ボルダルールは、そのような人間の選好の構造を改めて直視させてくれる。わたしたちの日常経験の中でも、「自分の希望に少しでも合わない限り反対する。」というような狭い態度は採っていないはずだ。「自分から見て最善最良の案ではないが、反対するほどの悪い案でもないので賛成しよう。」というような態度決定に至ることは珍しくない。このような意味で、人は懐の深さを持ち合わせているがゆえに、円満な他者との交渉や組織運営ができているのであろう。
(4)  ちなみに付言すると、会議の場において、決定参加者が最善と思う案を持ち寄ると、意見がばらばらに分散することがある。このような場合、議長としては、単に意見の種類を表面的に分類してはならない。そこでは議論の掘り下げが必要である。「意見が分かれる根源がどこにあるのか。価値観の違いなのか、それとも事実認識の違いなのか。」、「思想的に似た案を統合して幅広く支持が得られる案を作れないか。」、「各人の第2希望や第3希望を聞き出すことによって、第2希望・第3希望というレベルで一致点を見出すことができないか。」...このような詮索をすることが推奨される。それは、良質の合意形成を導く試みである。
(5)  第3に、ボルダルールのもとでは、有権者から見て好き嫌いの激しい候補者よりも、みんなが2番目に選好する候補者(万人から嫌われない候補者)が当選しやすいという傾向を持つ[12]。ボルダルールは、満場一致を理想とする思想に親和性があるとも言える[13]

7  コンドルセルールについて
(1)  ボルダを批判し、ライバルとして登場したフランスの学者に、コンドルセ(Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat, marquis de Condorcet,1743~1794)がいる。ボルダもコンドルセも、選択肢が3つ以上の場合に多数決で決めるのは良くないということでは意見が一致している。コンドルセの提唱した集約ルールとは、3つ以上の選択肢がある場合には、選択肢の2つずつを取り出して1対1のペアとして多数決によって優劣を決め、それらの結果を組み合わせて全体の順序づけをして1位を導くというルールである[14]
(2)     社会的選択理論では、あらゆるペアごとの多数決により勝者となる者を「ペア勝者」(pairwisemajority rule winner)といい、あらゆるペアごとの多数決により全敗となる者を「ペア敗者」(pairwisemajority rule loser)という。コンドルセは、ペア勝者は必ず1位になるべきであり(ペア勝者規準)、同時に、ペア敗者が1位になってはならない(ペア敗者規準)と主張した。ペア勝者規準とペア敗者規準の両方を満足させる集約ルールのみが正しいと言うのである。その規準に照らすと、ボルダルールでは、ペア敗者が1位になる可能性はないが[15]、ペア勝者が1位にならないことがある。コンドルセは、ボルダルールがペア勝者規準を満たしていないことを批判した[16]
(3) このように、コンドルセは、ペアごとの比較にこだわった。しかし、どんな場合でもペア勝者が確定できるのであれば都合が良いが、実はそうではなく、「甲は乙に勝ち、乙は丙に勝ち、丙は甲に勝つ。」というような「三すくみ状態」すなわち循環(サイクル)[17]が発生し、ペア勝者が確定できないというジレンマが生じることがある。コンドルセルールを維持しようと思うならば、サイクルを合理的に解消する方法を見つけることが課題になる。しかし、それは難問である。コンドルセ自身は、ペアごとの比較のうち最も得票差が少ないペアを、「正しい可能性が低い」という理由により考慮から除外するという解決方法を提唱した[18]。しかし、支持率が近接しているペアの一方を最上位とし他方を最下位とするこの処理に納得感が得られるのかどうかという問題があろう。また、選択肢が4つ以上の場合においてサイクルが発生したときには、この方法を用いることができないため、サイクルの解消が著しく困難になると言われている。
(4)  コンドルセが1794年に死亡した後、コンドルセルールはほとんど注目されることがなかったが、20世紀に入ってから、ダンカン・ブラック(Duncan Black, 1908~1991)やペイトン・ヤング(Hobart Peyton Young,1945~)等によってサイクルを崩す方法が研究されるようになったという[19]。ただ、それは一般人にとって理解が困難である。

8  どちらの集約ルールが良いか。
 ボルダルールとコンドルセルールは、それぞれ長所短所がありつつも、共に魅力的な集約ルールである。総合評価としてどちらが優秀であろうか。坂井は、総合評価としてボルダルールを推奨している[20]。ボルダルールには、分かりやすさがあり、使いやすさがある。得点の集計作業は単純な足し算であるから、その作業に複雑さは生じない。また、特定の集約ルールを採用するためには、メタ合意(どのようなやり方で決定するのかについての合意)が必要であるところ、ボルダルールの分かりやすさと使いやすさは、メタ合意を形成するうえで、人々の受け入れやすさをもたらすはずである[21]。一方、コンドルセルールでは、サイクルが発生した場合にこれを崩す方法が難しく、一般人に理解できないという難点をかかえる。

9  中位投票者定理について
(1)  ボルダルールとコンドルセルールのほかにも集約ルールが提唱されている。その中で注目すべき集約ルールの一つとして「中位投票者定理」(median voter theorem)があるので[22]、紹介しておきたい。たとえば、ある団体において会費を増額する必要が生じたが、増額する程度について会員間において意見が分かれたと仮定する。会員は、会費の金額が低すぎるのも良くないが高すぎるのも良くないと考えており,その一般論に関する限り認識が一致している。しかし、「このくらいの金額設定が最も好ましい。」という選好は会員によって異なる。各会員の選好パターンは、最善と思う金額が一つあり、最善から離れるほどいやになる(選好程度が低くなる)という特徴がある。これを視覚的に表現すると、真ん中が高い山の形をした選好パターンになる。この選好パターンを「単峰性」[23]と呼ぶ。このような場合、決定参加者それぞれが最善と考える金額(つまり各人にとっての峰)を金額順に並べたうえで、その真ん中(中位)の人の金額を選ぶのが民意に適っているというのが「中位投票者定理」である。単峰性を前提にするかぎり、中位の選択肢と中位でない選択肢を取り出してペアで比較すると、中位の選択肢の支持者の人数が上回る構造が認められることから、中位投票者定理において選択される中位は、常にペア勝者規準を満たすという長所がある[24]
(2)  中位投票者定理は、「一次元的な選択問題」において使用可能であるが、法律の制定のような政策決定課題では、二次元的、三次元的な構造を持つことが多いため、中位投票者定理を使用することができない。しかし、政策決定課題であっても、意外に一次元的な構造になっていることがある。坂井は、「隣国外交という政治的課題」における対外的姿勢として「穏健」、「中間」、「強硬」という3つの選択肢を例示して中位投票者定理を解説している(坂井A100頁)。
(3)  もう少し分かりやすい設例を挙げてみる。ある会社の経営陣の間で、「台風が接近していることから、早く事業所を閉めて従業員を帰宅させるべきか。」という問題について議論になったとする。これは、肯定するか否かという二者択一議案ではないはずである。経営陣において、暴風雨による歩行の危険あるいは交通の途絶が発生する前に臨時休業をする必要があるという考慮要素については共通に認識している。しかし、「今すぐ」と考えるか「まだ早い」と考えるかの違いが生じているにすぎない。これは一次元的な解決課題であるから、中位投票者定理の利用が可能である。なお、中位投票者定理は、意見が分かれて揉めそうになったときに、「真ん中を採る」ことによって、集団の意見対立を感情的に収めやすいという心理的効用もある。そういう意味でも、いつかは使える手段として心の片隅に留め置くことにしたい。
(4)  付言すると、「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」67項2項は、「刑の量定について意見が分かれ、その説が各々、構成裁判官及び裁判員の双方の意見を含む合議体の員数の過半数の意見にならないときは、その合議体の判断は、構成裁判官及び裁判員の双方の意見を含む合議体の員数の過半数の意見になるまで、被告人に最も不利な意見の数を順次利益な意見の数に加え、その中で最も利益な意見による。」と定めており、この法律を適用すると真ん中の意見(中位選択肢)を選ぶ結果になる[25]

10  個人的利害と多数決について
(1)  多数決をめぐる最大の倫理的課題は、なぜ少数者が多数者の意見に従わねばならないのかである[26]。この問題について、一部の人は、「多数者の利益と少数者の利益が対立したとき、多数者の利益を犠牲にして少数者の利益を保護することは合理的でなく、相対的な比較の問題としては、少数者には我慢してもらって多数者の利益を保護する方がましである。」と説明する。これは、幸福の総量の比較(最大多数の最大幸福)という考え方である[27]。意外にこのような漠然とした感覚を持っている人は少なくないのではないか。しかし、これでは、多数者の利益のために少数者が犠牲になってもよいと言うに等しく、倫理的な正当性の説明としては不十分である。
(2)  そもそも、多数決は、「自分にとっての利害」がぶつかり合う形で使用してよいのだろうか。極端な設例かも知れないが、2つの民族によって構成されている国において、少数民族を差別する法案(人種差別法案)を多数決にかけてよいのだろうか[28]。多数決の倫理的正当性を解明する上で、個人的利害と多数決の関係をいかに整理すべきであるかという問題は、避けて通ることができない検討課題である。坂井は、コンドルセ及びルソーの言葉を引いて、決定参加者が採るべき心的態度は、自己利益の追求をひとまず脇に置いて、自分を含む多様な人間が共に必要とする公的利益への判断をするという態度であると説いている(坂井A69~72頁)。決定参加者がこのような心的態度をとる限り、多数者の意見も少数者の意見も、「公的利益の追求」という共通の前提に立った意見の相違にとどまるから、多数者の意見が、より公的利益に適合しているという意味で「正しい判断」である確率が高い。そこに、多数決の結果に少数者が従うべき倫理的根拠が生まれる。
(3)  考えてみれば、多数決では、10人中6人が賛成すれば、4人が反対しても可決される。4割もの反対者が存在するということは、極めて問題が多い議案であるということを意味しているのに、「6対4」を「10対0」に「四捨五入」してしまうのが多数決の乱暴さである。多数決は必要悪であり、意見対立がある場合において多数決で物事を決めると禍根を残しやすいということを心に留め置く必要がある。このように考えると、重要な課題では正しさの確度を特に高める必要がある。特別多数決制度の存在根拠はそこにある。
(4)  付言すると、現実の姿としては、決定参加者が自己の利害をひとまず脇に置いて公的利益への判断ができるとは限らない。人は、さまざまな利害関係等によって左右される[29]。それをすべて排斥することはできない。しかし、少なくとも、議案との間に一定の利害関係[30]を有する者がいるときは、当該議案についてはその者による議決権行使を否定すべきであるという要請が生まれる。現に、団体の統治を規律する法制では、「特別利害関係人の議決権排除」(たとえば、一般社団法人法95条2項、同189条3項、同266条1項3号、会社法369条2項、同399条の10第2項、同412条2項など)という形で法制度として結晶化されている。
(5)  人種差別法案のような極端な事例は論外としても、決定参加者の個人的利害がからむ決定事項、あるいは決定参加者にとって個人的利害の濃淡がある決定事項[31]は、実際に多々ある。利害関係の存在に配慮をすることなく多数決によって処理した場合には、どこかに問題が残ると考えるべきであろう[32]

11  おわりに
(1)  ボルダとコンドルセが活動した18世紀後半は、フランス革命(1789-1799)が発生した時代である。ルソー(Jean-Jacques Rousseau,1712-1778)は、1762年に「社会契約論」を出版し、フランス革命に思想的影響を与えたと言われている。コンドルセは、フランス革命の動乱の中で、恐怖政治を敷いたロベスピエールらと対立して欠席裁判で死刑宣告を受けて命を落とした[33]。コンドルセより年長であったボルダは、1799年に死亡した。
(2)  このような時代背景において社会的選択理論と呼ばれる学問が芽生えた[34]。人は、自分のことを自由に決定できる。その個人が複数になり、「わたしたち」という集団になった場合、集団の意思はどのようにして決定されるべきなのだろうか。その場合、個人の意見が集団の意思決定において採用されないことが生じるが、そのことがなぜ正当化されるのだろうか。そのような問題意識が発生したのであろう。
(3)  この小文は、必ずしも『多数決を疑う』に即した紹介や書評になっておらず、私なりの妙な「尾ひれ」がついてしまったが、それは、同書が引き起こした知的刺激に原因がある。弁護士を含む法律家には一読をお勧めしたい。

以上


[1] ここで扱う論点ではないが、日本人にとって真に民主主義的な会議を経験する機会は多くない。実際には、結論が決まっている会議、上意下達を旨とする会議、党派的対決の場としての会議、社交儀礼や処世術の場としての会議などの色彩を持ちやすい。会議の「生態」を描いた書物に森田朗『会議の政治学Ⅱ』(慈学社出版)がある。

[2] いうまでもなく、批判的な言論を封じる空気あるいは参加者が自粛する空気を基盤とする全会一致は健全でない。それは別の問題である。

[3] 会社法では、普通決議のほかに、特別普通決議(341条)、特別決議(309条2項)、特殊決議(309条3項)、特別特殊決議(309条4項)というように細分化している(相澤哲『新・会社法 千問の道標』263頁参照)。

[4] 佐伯は「社会的決定理論」の語を用いる。

[5] 「選択肢」(alternatives)は、「選好」(preference)と並んで社会的選択理論の基礎的な道具概念になる。佐伯22頁参照。

[6] 社会的選択理論は、あたかも個人の選好がアプリオリに決まっているかのごとき認識に立っているように見えるが、社会科学性を成り立たせるためのフィールド設定として,そのような仮定的前提を設けているのだと理解することができる。実際には人の選好はアプリオリに決まっているのでない。その問題の追究は別の検討領域になる。

[7] 坂井A7頁

[8] 「1位に2点、2位に1点、3位に0点」という評点を付けるのがボルダルールであるという解説(佐伯57頁)もあるが、理論的には同じことである。

[9] ナウルで使用されている「ダウダールール」がこれに当たる(坂井A5頁、21頁)。

[10] その論証は容易でない。坂井A5頁、佐伯56頁

[11] 「選好順序」(preference order)、「選好程度」(preference intensity)という用語がある。

[12] ボルダルールのもとでは、たとえば、6割の有権者が「①甲、②丙、③乙」という順位を付けて投票し、4割の有権者が「①乙、②丙、③甲」という順位を付けて投票した場合は、丙が当選する。これに対し、7割の有権者が「①甲、②丙、③乙」という順位を付けて投票し、3割の有権者が「①乙、②丙、③甲」という順位を付けて投票した場合は、甲が当選する。

[13] 坂井B41~44頁

[14] 坂井A40頁

[15] ボルダルールがペア敗者規準を満たしていることをボルダ自身は論証していないが、今日では数学的証明がなされている。坂井A16頁,坂井B94頁

[16] 坂井A58頁

[17] 「コンドルセ・サイクル」と呼ばれることがある。坂井A41頁

[18] 坂井A42頁

[19] 坂井A44頁~47頁。

[20] 坂井A58頁

[21] 坂井A55頁

[22] ダンカン・ブラックが提唱した。

[23] 坂井A101頁

[24]決定参加者が9人ならば、高い方から5番目(低い方から5番目でもある)の人が真ん中の人である。厳密に言うと、選択肢の数が偶数の場合には中位が2つ生じるので、その優劣の決定は別途必要になる。

[25] 坂井B168~176頁

[26] 坂井A71頁

[27] 坂井B144頁

[28] 実際にルワンダで発生した事例である。坂井A84頁

[29] 個人的利害関係と言っても、経済的利害に限らず、さまざまなものがある。「面倒なことに巻き込まれたくない。」とか「他人との摩擦を起こしたくない。」というような漠然とした後難回避の感情もそれに当たる。

[30] 「直接的な」利害関係あるいは「強い」利害関係と表現することができる。

[31] たとえば、地方公共団体がある場所に新しい道路を建設する場合、各住民の職業や住所によって利害関係の濃淡がある。

[32]坂井A15~16頁

[33] 坂井A34頁

[34] 坂井A98頁

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