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  • 2018.01.22

賃借人の「原状回復義務」と賃借物返還義務の関係について

村 上  公 一 

 1  改正法と原状回復義務の概念について
(1) 賃貸借終了時において賃借人が負担する原状回復義務(新621条)と賃借物返還義務(新601条)の関係が分かりにくくなっている。原状回復義務を履行しなければ賃借物返還義務を履行したことにならないのか。それとも、原状回復義務を履行しない状態でも賃借物返還義務を履行することができるのか。この点は、理論的にも実践的にも興味深い問題である。ここでは、建物の賃貸借(とりわけ居宅の賃貸借)を主な検討対象とする。
(2) まず、賃借人は、賃貸借契約が終了した場合に賃借物件を原状に回復して賃貸人に返還する義務がある。これを「原状回復義務」という。原状回復義務について検討する際には、①賃借人が賃借物を受け取った後に賃貸物に附属させた物の収去義務(以下「収去義務」という。)と②賃借人が賃借物を受け取った後に賃借物に損傷が発生した場合の修繕義務(以下「修繕義務」という。)を区別して考える必要がある。
(3) 「原状回復義務」の概念には変動が発生しているようである。過去の学説では、収去義務(現598条・616条、新599条・622条参照)を中心にして原状回復義務を理解しており、修繕義務としての原状回復義務の観念は乏しかったように見受けられる(我妻榮『債権各論中一(民法講義V2)』466ページ、新版注釈民法(15)125ページ、302~304ページ)。この見解では、 賃貸借終了時に賃貸物に存在する損傷については、もっぱら損害賠償の問題として解決されることになる(星野英一『借地・借家法』201ページ)。
 これに対し、近時の判例及び学説においては、修繕義務としての原状回復義務がクローズアップされてきた。それだけでなく、改正法では、収去義務と修繕義務を区別したうえで、修繕義務のみを「原状回復義務」と呼ぶことにしている(新621条)。この語法は、民法(債権関係)部会の審議の初期の段階から異論なく採用されている(部会資料16-2の67ページ,部会第15回議事録62ページ。なお、民法(債権法)改正検討委員会の「債権法改正の基本方針」【3.2.4.26】、同委員会編『詳解債権法改正の基本方針Ⅳ(各種の契約(1))』310ページ参照)。

2   平成17年判決
(1) 修繕義務としての原状回復義務について明確な観点を打ち出した判例として、最高裁17年12月16日第二小法廷判決(集民218号1239頁、判例時報1921号61頁、判例タイムズ1200号127頁。以下「平成17年判決」という。)がある。平成17年判決は、一種の事例判決であり、やや慎重な言い回しをしているが、それにもかかわらず、引用される機会が多く影響力の強い判例になっている。
(2) 平成17年判決は、次のように言う。「賃借人は、賃貸借契約が終了した場合には、賃借物件を原状に回復して賃貸人に返還する義務があるところ、賃貸借契約は、賃借人による賃借物件の使用とその対価としての賃料の支払を内容とするものであり、賃借物件の損耗の発生は、賃貸借という契約の本質上当然に予定されているものである。それゆえ、建物の賃貸借においては、賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生ずる賃借物件の劣化又は価値の減少を意味する通常損耗に係る投下資本の減価の回収は、通常、減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませてその支払を受けることにより行われている。そうすると、建物の賃借人にその賃貸借において生ずる通常損耗についての原状回復義務を負わせるのは、賃借人に予期しない特別の負担を課すことになるから、賃借人に同義務が認められるためには、少なくとも、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約(以下「通常損耗補修特約」という。)が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である。」
(3) 平成17年判決の判文には、原状回復義務の基準に関するデフォルト・ルールが示されていると解することができる。そして、その内容は多くの者が賛同できる内容である。そこで、改正法には次の新設規定が設けられた。

(賃借人の原状回復義務)
第621条   賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。

(4) この意味での原状回復義務は、賃借人が負担する行為債務として観念することができるのであり、賃借人が原状回復義務を負担すべき損傷が賃貸物に存在する場合、賃貸人は、賃借人に対して修繕の履行を請求することができ、賃借人がこれを履行しないときは、賃借人に対して履行に代わる損害賠償を請求することができる。もちろん、賃貸人が敷金返還債務を負担しているときは、敷金による充当によって損害賠償債権の回収を図ることもできる。なお、賃借人が賃貸借期間中に損傷を発生させたことについて義務違反がある場合の損害賠償債務と原状回復義務は、異なった発生原因によって発生し併存(競合)する義務であるが、賃借人が事後的にせよ原状回復義務を履行することによって、その損害賠償債務の全部又は一部を消滅させることができる。
(5) なお、付言すると、損傷の発生について賃借人に保管義務違反がない場合においても原状回復義務が発生することがある。つまり、賃借人の義務違反の有無と原状回復義務の有無は、表裏一体の関係に立つものではない。たとえば、賃借人がヘビースモーカーであるために、賃貸借終了時において室内の壁紙に強度の汚損が発生した場合には、室内における喫煙が契約上許容される行為であるとしても、賃借人の喫煙という行為に起因してその汚損が発生したのであるから、新621条ただし書の免責事由には該当せず、賃借人に原状回復義務が発生することがある。(具体例についての詳細は、国土交通省が平成10年3月にとりまとめた「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」(平成23年8月改訂)を参照して検討していただきたい。)

3  賃借物返還義務との関係について
(1) 収去義務を中心に原状回復義務を理解していた時代においては、その意味での原状回復義務は、結果債務としての賃借物返還義務の内容を規律する関係に立っていた。すなわち、収去義務が履行された状態で賃借物の占有を移転することが返還義務に適合した履行であり、収去義務を履行しないで観念的に占有を移転しただけでは賃借物返還義務に適合した履行にならない。このような意味で「表裏一体」の関係を一応見出すことができた。少なくとも両者のずれを特に意識する必要はなかった。しかし、修繕義務としての原状回復義務と賃借物返還義務との関係では、単純には表裏一体の関係にはならず、建物の明渡しは完了しているが原状回復が未了であるという事態が生じうる。裁判例を見るかぎり、賃借物の返還は完了しているが、原状回復義務が未履行であるとして争われている事案がむしろ多い(最高裁平成17年3月10日判決・判例時報1895号60頁、平成17年判決など)。
(2) では、どのように考えたら良いのだろうか。思うに、賃借物返還義務を履行したと言いうるためには、単に占有を移転しただけでは足りず、賃貸人にとって目的物の再利用が可能な状態に置くことが必要である。退去した賃借人が建物内に賃借人所有の什器備品を残置している場合には、そこに賃借人の占有が残っているとも言えるし、少なくとも賃貸人にとって、 建物の再利用が阻害されている状態であることは明らかである。借地契約においては地上建物を収去しなければ土地を明け渡したことにならないと解されているが、それは、地上建物が存在するかぎり、土地の再利用が阻害されるからである。これと同様の理由により、賃借人が附属させた物についても、収去を実施しなければ、人や物を容れる器(うつわ)としての建物の自由な再利用を阻害することになるから、返還義務を履行したことにならないといえるのである。
(3) 他方、修繕義務としての原状回復義務を履行したうえで賃借物を返還することが返還義務の内容に適合した履行であると解する方がやや論理的であることは理解するが、仮にそのような解釈を貫いた場合には賃借人にとって過酷なルールが設定されてしまうと感じる。賃借物に生じた損傷の有無程度については、転出(賃借人による什器備品の搬出及び附属物の収去)が完了した後でなければ、双方にとって建物の状況の精確な認識が困難であるという性質がある。賃借人にとってみれば、転出前に損傷の有無程度を確知し、かつ修繕を実施することは困難である。住宅の賃貸借の実務では、賃借人が附属物を収去して転出を完了した後に、双方当事者が現場で立ち会って損傷の有無・程度を確認し、原状回復工事に関して協議を行なう例が多い。そして、原状回復の工事は、ほぼ例外なく賃借人転出後に実施されるが、いずれの当事者が工事発注者になろうとも、工事完了時まで明渡しが遅延しているという扱いをしない扱いが多い。仮に明渡期限までに転出及び原状回復を済ませて明け渡すことを賃借人に対して義務付けた場合、あるいは原状回復が完了しないかぎり賃借物返還が完了したとは認めないという扱いにした場合には、賃借人に過大な負担が生じると言える。しかも、原状回復義務の有無や採用すべき工法に関して双方の意見が一致しないために調停や訴訟になることもあるが、その場合、原状回復義務の履行(又はこれに代わる損害賠償)の問題が未解決の問題として残るとしても、賃借人が応分の行動をとっているかぎり、建物明渡し自体は完了しているものとして扱われることが多く、それはそれで妥当な事案処理である。そうでないと、当該紛争が解決するまで建物明渡しが完了しておらず、賃借人は、その間、賃料相当の損害金についての支払義務を免れないことになるが、それは過酷な帰結であると言える。また、平成17年判例といえども、賃貸借契約において通常損耗についての原状回復義務を課すことが一律に無効とされているわけではなく、一定の範囲において有効とされることがあるところ、そのような場合にも通常損耗の原状回復を含めた原状回復義務の完全な履行がなければ返還義務が履行されたことにならないと解することには躊躇を感じる。また、賃借人が、賃貸人に対し、損傷についての金銭賠償を申し出たうえで賃借物を返還することができるのか否かという問題もある。ここでは十分な解釈論が提示できなかったが、修繕義務としての原状回復義務は、その全てが賃借物返還義務の内容を構成するわけではないという考え方が賃貸借の実務において定着することが期待されるとともに、今後の判例学説の展開に期待したい。

(2018年1月22日公開。2018年2月5日改訂)

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