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- 2017.12.29
債務不履行による損害賠償責任における「帰責事由」について
村 上 公 一
ここでは、民法を学習される方々を念頭において、債務不履行による損害賠償責任における「帰責事由」について説明いたします。
- 伝統的学説について
伝統的学説は,ドイツ法の影響(学説継受)を受けて,債務不履行による損害賠償責任の責任根拠を過失責任主義に求めてきた。
(1) 我妻榮(1897~1973)
「民法の条文を形式的に解釈するときは,履行遅滞には故意過失を必要とせず,ただ不可抗力によって遅延した場合にだけ責任を免かれると解すべきが如くである。判例は,最初はそう解した。然し,その後,過失を推定すべきものとし,責に帰すべき事由に基づかないことを挙証すれば責任を免れうるとするようになった。至当な態度であって,現在の通説はこれを支持する。」(『新訂債権総論(民法講義Ⅳ)』(1964)105頁),「然らば,「責ニ帰スベキ事由」とはいかなる意味か。債務者の故意・過失または信義則上これと同視すべき事由と解して良いと思う。同視すべき事由を含む点で,厳格な過失主義が緩和されている。その意味で,責に帰すべき事由は故意過失より広い概念といってよい。」(同)
(2) 於保不二雄(1908~1996)
「民法は,履行不能については「債務者ノ責スヘキ事由」によることを要件としながら,債務不履行一般についてはその主観的要件に言及していない。もっとも,金銭債務に関する特則(民法419条2項)からすれば,金銭債務以外の遅滞においては不可抗力をもって抗弁となしうることだけは明白である。そこで,履行遅滞については,不可抗力に基づかない以上,債務者の故意過失その他責に帰すべき事由がなくともなお責任をおうべきかにつき解釈上疑義を生ずる余地がある。しかしながら,わが民法は過失責任の原則の上に立っていること,並びに,履行遅滞と履行不能とを特に区別すべき実質上の根拠がないこと,を理由として,学説・判例ともに,諸外国立法におけると同様,履行遅滞についても債務者の責に帰すべき事由に基づくことを要件として認めている。したがって,また,民法419条2項にいわゆる「不可抗力」は,その厳格な意味においてではなく,「債務者の責に帰すべからざる事由」と同義に解されている。」(『債権総論(新版)』(1972)93頁) - 新しい見解
債務不履行制度や帰責事由の理解として,最近の有力説は,過失責任主義から脱却する方向性を主張する。本来,過失責任主義は,「行動の自由」(注意して行動する限り不測の責任を負わされないことにより,予測可能性を確保する。)を保障するためにあるが,そもそも債務者というものは,契約によって拘束されており,その債務の履行を義務づけられている。そこには,「行動の自由」を問題にすべき基盤がなく,その契約上の義務を守らないこと自体が責任を負うべき根拠になると考える。そして,「責に帰することができない事由」(以下「帰責事由の不存在」と言い換えることがある。)は,「債務者に義務違反があるのに債務者にその責任を負わせるべきでないといえる事由」というような意味での例外的な「免責事由」として理解する。その場合,「免責事由」の内容とともに,免責の根拠(客観的には債務の不履行があるにもかかわらず免責が正当化されるのはなぜであるか。)が問われる。説明の仕方は,論者によって微妙に異なるが,だいたいにおいて,当該状況において当該リスクを債務者に負担させるべきか否かという問題(リスク負担の相当性の問題)として理解する。
(1) 平井宜雄(1937~2013)
平井は,民法の起草当時,責めに帰することができない事由とは「不可抗力」を意味するものとされていたとも考えられると指摘して通説を批判する。判例の実際の姿としては,通説に従っておらず,次のような準則が見出せるという(『債権総論(第2版)』77頁~81頁)。
ア 債務者に履行の意思自体が存しないと認めるべき明白な事情があるときは,常に帰責事由がある。
イ 引渡債務については,引渡しがない場合には特段の事情が内限り,常に帰責事由がある。
ウ 行為債務の場合には,行為債務を特定したうえで,現実になされた債務者の行為との間に食い違いがあれば,直ちに帰責事由がある。
エ そのほかに,債務不履行が債権者側の事情によって生じた場合,社会情勢(ストライキの発生など)によって生じた場合も同様である。
(2) 中田裕康(1951~)
「帰責事由は,事実としての不履行がある場合に,それによる損害を賠償する責任を債務者に帰せしめる要素であるが,債務者が債務を負う以上,それは原則として存在する。例外的に,免責事由・正当化事由がある場合にのみ,帰責事由がないことになる。」(『債権総論(第3版)』135頁),「事実としての不履行がある場合に,債務者の免責事由及び正当化事由を判断する。免責事由とは,①不可抗力,②債権者又は第三者の行為であって債務者に予見可能性及び結果回避可能性のないもの,をいう。免責事由は,債務の種類によって意義が異なる。...(中略)...金銭債務以外の財産権を与える債務においては,債務者は①②により免責されることがある。なす債務においては,①②により免責されることもあるが,多くの場合,もっぱら事実としての不履行の有無が問題となり,それがあると判断される場合には,改めて免責事由が問題となることはないだろう。(以下略)」(同)
(3) 潮見佳男(1959~)
「債務不履行の帰責事由を考えるにあたっては,過失責任の原則を採用しない。債務内容に照らして保証責任の原理に基礎付けられる場合(結果保証のある場合。結果債務)と,過失責任の原理に基礎付けられる場合(手段債務)とを認め,前者については不可抗力および債権者の圧倒的な帰責性をもって免責事由とし,後者については,債務不履行の事実の確定をもって債務者への帰責性が同時に確定される。」(『債権総論Ⅰ(第2版)』282頁)。 - 補足説明
以上の議論には,やや分かりにくい点があるので,補足して説明する。
(1) 証明責任の問題
まず,主張立証責任の問題としては,債務不履行の類型(履行不能,履行遅滞,不完全履行)を問わず,帰責事由の不存在が抗弁事由(債務者が責任を免れるために主張立証すべき事実)になること自体は争いがない。債権者が帰責事由を主張立証すべきという見解は存在しない。伝統的見解は,債務不履行の責任発生の要件として,本来,「債務者の故意・過失または信義則上これと同視すべき事由」(以下「故意過失等」という。)が必要であるが,不履行の事実によって債務者の過失が推定され,立証責任が転換されていると考えるようである。これに対し,新しい見解は,債務不履行制度は過失責任主義とは関係がなく,故意過失等がなくても債務不履行が成立すると考える。免責事由は,債務不履行(契約違反)が生じている場合において,なおかつ債務者の無責(いったん責任が発生して事後的に免除されるのではない。)を認めるべき不可抗力などの例外的事由である。「免責事由が存在する場合には不履行自体が生じない。」という異説もあるが、今は採らないことにしたい。
(2) 「結果債務」と「手段債務」
債務の分類法にはいくつかの観点がある。その一つとして,債務の種類を,「結果債務」と「手段債務」に大別する考え方がある。結果債務とは,「買主に物を引き渡す。」,「目的地まで物品を輸送して届ける。」というように債権者に対して一定の結果をもたらすべき債務であり,当事者の合意(ひいては債務の内容)は,もっぱら結果の実現に向けられている。金銭債務は,典型的な結果債務である。
一方,手段債務では,債務者は,達成すべき目標(債権者が希望する目標)に向けた手段をとり最善を尽くすことを約束するが,目標の達成は約束されておらず,契約上の義務になっていない。たとえば,患者と医師との間における診療契約において,医師は,合理的な注意を払い医学的水準を満たした方法によって医療行為を行なうことが義務付けられるが,「患者の病気を治す」という結果を保証しているわけではない。あるいは,弁護士の訴訟委任についても,有利な訴訟結果を目指して注意を払い適正に努力をする義務を負うが,「勝訴」という結果は約束されていない。学校法人は,在学中の児童・生徒の生命身体の安全性を配慮する義務(安全配慮義務)を負うが,生命身体の損害が生じないという結果を保証しているわけではない。
手段債務と結果債務が厳密に区分できるのかという指摘はあるが,債務不履行における「不履行」と「免責事由」の関係を理解し,思考を整理し,責任の有無を正しく判定する上で必要である。手段債務のこのような理解は,債務不履行責任の根拠としての過失責任主義を採るかどうかにかかわらず,裁判実務において支持され定着している。
結果債務と手段債務の違いが発生する理由を考えると,それは,契約当事者が何を意図したかという「意思」の問題とその契約がどのような利益実現を目指すものであるかという「性質」の問題に由来しているのであろう。
手段債務における債務不履行の判定では,抽象的な債務の観念から出発し,当該状況下における具体的な行為義務を導くという作業を行なう。たとえば,生徒間の加害行為について私立学校(学校法人)の損害賠償責任を問う訴訟事件では,「学校法人は,在学中の生徒の安全性を配慮する義務がある。」という抽象的な観念から,「教師は,生徒間の加害行為を知ったらこれを阻止すべく行動する義務を負う。」という具体的命題を導き,これを更に具体化すると,「A教諭は,〇月〇日〇時ころ,校庭で,生徒Bが生徒Cを足で蹴っているのを目撃したのであるから,その場で直ちに介入してその暴力を制止すべきであった。」という判断を導くことができる。
このように,常に具体的な状況との関係において,行為する義務(適切な行動を選択する義務)が設定される。そのため,当該場面において,債務者にとって問題状況についての認識が困難であり,又は問題解決のための対応に困難が発生している場合には,そのような困難も,行為義務を具体化する中で行為義務の判断の前提として織り込まれる。
その逆に,具体的な行為義務に反することが認められるならば,改めて責めに帰すべき事由があるかどうかを判断する必要がない。免責事由が機能しないというのでなく,「義務違反」と「帰責事由」が,事実上表裏一体となり,同じ判断構造になるから,重複して審査する意味がないと考えられている。
(3) 新しい学説の理解
以上をまとめると,新しい学説は,債務者が債務不履行によって損害賠償責任を負う根拠は,不履行について過失があったからではなく,債務者が契約で義務づけられたことを守らなかったからだと考える。手段債務においても,一定の行為を採るべき義務に違反し,それが債務不履行に当たるから,損害賠償責任を負うと考える。義務違反がなければ,損害が発生しても,損害賠償責任が発生しない。たとえば「教師が合理的な注意を払っていたが生徒が負傷した。」という事案がこれに当たる。その場合の責任否定の理由は,免責事由に該当することにあるのではなく,義務違反がないことにある。
(4) 用語の問題について
415条の「責めに帰すべき事由」(帰責事由)という用語の語義は,本来,「責任を負うべき事由」という意味である。同様に,「責めに帰することができない事由」(改正法415条)という言葉の語義も,「責任を負わせることができない事由」という意味である。本来,言葉自体としてはトートロジー(同義反復)であり,何も言っていないに等しい。そうであるから,「帰責事由」という観念は,本来,いろんなものが入りうる空の器であり,故意過失等の観念と必然的に結びつくものではない。ところが,伝統的学説が,「帰責事由」の内容を故意過失等であると解釈したことで,その観念がある程度定着し,「帰責事由」の語は,故意過失等を意味するという語感が法律実務家の間に浸透している。しかし,今後は,学説上の地殻変動と債権法改正があいまって,「帰責事由」の概念が変動していくことが見込まれる。また,法律文書(規程,契約書など)を立案するに際して無定義で「帰責事由」という用語を使うべきでないと思われる。
以上
(2017年12月29日)